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「中央式太極拳」って、知ってます!? [太極拳]

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今回は、私の太極拳の思い出話に、お付き合いください。

今から25,6年も前の話です。
私は三十代に入った頃、体調が優れない時期が続きました。
医者の診断は、「自律神経失調症」

処方された安定剤を飲み続けるも、あまり効果を感じず、東洋医学に助けを求めます。
半年間の鍼治療のあと、そのころブームであった気功教室へ。

そこで出会ったのが、「中央式太極拳」でした。

太極拳IMG_2509.jpg
中央式太極拳イメージ。アジア文化芸術連盟のサイトより引用

別名「 双辺太極拳」。日本柔拳連盟というところでは、嫡流の伝承者 地曳秀峰氏が「正宗太極拳」として指導されています。でも、日本の太極拳界全体から見ればマイナーな存在で、太極拳愛好者でも知らないという人が多いようです。

さて、中央式太極拳の成り立ちの説明です。
ときは1940年、第二次世界大戦を目前にした、不穏な空気が漂う時代背景を受け、南京中央国術館 副館長 陳泮嶺氏が中心となって、「各派の粋を集め、技撃力を高める」という目的で編成された究極の総合太極拳が作られました。それが「中央式太極拳」です。

その後、国民党政府の台湾への移動に伴い、陳泮嶺氏も渡台し、
台湾の地で広く普及していきます。

日本へは1959年、陳泮嶺氏の兄弟弟子であった王樹金氏によって伝えられています。
その頃の王樹金氏の強さは驚異的であったようで、数々のエピソードが伝わっています。
腕自慢の日本の武術家を子ども扱いにした、黒人ボクサーを一撃でKOした、等々。

私が教えを受けたのは、その王樹金氏の孫弟子の 李鴻儒という方です。

私がいた気功教室へは、「外丹功」という気功法の指導で来られたのですが、その時ついでに表演された「中央式太極拳」の方に、多くの生徒が魅了されてしまい、「李老師の教えを乞おう!」となったのが発端です。

套路(型)は99式という長いもので、演武するには20分程度かかります。重要な技は繰り返しも多いため混乱しやすく、順番を覚えるだけでも大変です。

また、李老師の教授法は、「きっちりとカリキュラムを組んで順番に」というものではなく、その時の「ひらめき」を大切にするスタイルであったため、「あれ、この間の説明と違うやん!」という事もよくありました。こっちの面でも皆さん混乱気味でした。

実戦派の流を汲むだけあって、李老師の推手は、時には過激な様相を呈します。
練功のかいあってか、体調も回復してきた私は、積極的に推手の相手を務めさせて頂きましたが、よく豪快にすっ飛ばされたものです。

試しに身体を打ってもらったこともあります。
「危ないから」ということで上腕部にしましたが、触れた状態からの軽い一打のはずが、想定外の痛さに、「うおっ!」という悲鳴とともにその場にうずくまったことを憶えております。

近頃はインターネットがあるので、李老師が今でも元気に指導されている様子を、うかがい知ることができます。長らくお会いしていませんが、私のこと少しぐらいは憶えていてくれてますでしょうか。

今私は、24式太極拳しか練習していませんが、久々に推手をお願いしたいものです。
ただし、歳も重ねたことだし、あの頃のように派手に飛ばされるのは勘弁いただきたいですが。


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