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東日本大震災から6年 木碑で語り継ぐ津波の記憶と教訓  [時事]

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今日、あの東日本大震災からちょうど6年を迎えます。
NHKの番組で、岩手県木槌町の「木碑」のことを知りました。

高台へ続く坂道の途中、石垣を背に木碑が立っています。土台のコンクリートの上場が震災の時、津波が到達した高さです。碑には「大きな地震が来たら戻らず高台へ」という教訓が刻まれています。

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出展 朝日新聞デジタル

建立されたのは震災から2年が過ぎた2013年のこと。
発案者は、当時高校生だった吉田勇作さんと同級生3人でした。

震災時、吉田さんは中学2年生。家族5人は無事でしたが、自宅は津波によって流されてしまいました。そして、翌2012年に宮城県栗原市で開かれた中高生の「全国防災ミーティング」に参加したのをきっかけに、津波対策を考え始めたそうです。

実は大槌町は1933年にも大津波に襲われています。
その時の津波の到達点には「これより先(海側)に家を建てるな」と刻まれた石碑が建てられていたのですが、風景に埋もれていたこともあり、吉田さんも意識することはありませんでした。

大槌町は震災で1200人余が犠牲になっています
「碑の言葉が町民の心に生きていれば震災で失わずに済んだ命があったはず」と木碑の建立を思いついたといいます。

一般的な「石碑」ではなく「木碑」にしたのには理由があります。
管理の手間がほとんど要らない石ではなく、あえて朽ちる木を使い、立て替えるたびに震災を思い出して被害の風化を防ぐ試みなのです。

そして建立から4年目の今年、初めての立て替えが行われます。
今度の碑に刻まれる教訓も、地元の高校生たちが話し合って決めました。
「だれかの命を助けたいなら、代わりのない自分から」
「絆 声かけあい 思いやりを後世に」
などのことばが加えられたそうです。

この番組でインタビューを受けていた発案者の吉田勇作さんは、
二十歳の立派な青年になっておられます。

木碑建立の経緯などを話す言葉ひとつひとつに、
溢れる郷土愛を感じました。

被災者の方々は、たいへんな思いをされてきたことでしょう。
でも、吉田さんのような、若い人たちがいるのだから、きっと大丈夫。
そんな明るい気持ちにさせてくれた、ひと時でした。



被災地の復興を祈念して
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コメント 1

ニッキー

ご訪問&NICEありがとうございます( ^ω^ )
木碑にされた深い思いがたくさんの人々に伝わりますように(_ _)
by ニッキー (2017-03-11 19:52) 

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