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プロレスラー真壁刀義が「おんな城主 直虎」に参戦ダァ~ッ! [プロレス]

NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は観ていますか?
私、TVドラマはあまり観ないのですが、大河ドラマだけは欠かさず観ております。

主役は、柴咲コウ演じる井伊直虎です。
あまり日本史に詳しいわけでもないので、初めて知った名前なのですが、幕末のドラマでは必ず登場する、井伊直弼の祖先ということです。

さて、そのドラマの第21回(2017.6.4放送)より、
プロレスラーの真壁刀義選手が出演しております。


真壁刀義というプロレスラーを知らない方のために、簡単にご紹介。
Togi_Makabe_NEVER_Openweight_Champion.JPG
出展 Wikipedia

真壁刀義(まかべ とうぎ 1972年9月29日~)
本名は真壁伸也(まかべ しんや)。神奈川県出身。
新日本プロレス所属の男性プロレスラー。
本来は、容赦のない荒々しいファイトが売りの、ヒール(悪役)レスラーです。
その反面、業界屈指のスイーツ好きとして知られ、最近では情報バラエティー番組の出演が多く、ヒールキャラがほぼ崩壊状態にあります。


プロレス者の私としては、真壁選手の出演決定のニュースを知り、大いに期待しておりました。
現時点での感想を先に述べます。

期待を外してくれています(笑)
存在感が、あまりにも稀薄なのです。
最初の登場に合わせて記事を書こう、と思っていたのですが、台詞もほとんどなく、映っている時間もごくわずかだったので、次回を見てから書こうと思い直し、第22回の放送を待ちました。

やっぱり、あまり目立ちません、あんなにデカいのに。
プロの俳優ではないので、台詞が少ないのは仕方がないとは思いますが、もう少し真壁選手の目立った「動き」に期待してしまいます。

役どころは、柳楽優弥さん演じる龍雲丸が率いる盗賊団の一味「力也」です。
これらは、架空の登場人物らしいので、それなら開き直って、もう少し羽目を外して大暴れてさせてくれよ、と思うのはプロレスファンのエゴでしょうか・・・。

011.jpg
出展 NHK おんな城主 直虎 ウェブサイト

プロレスラーの大河ドラマ出演というのは、今回が初めてではありません。
1996年の「秀吉」では大仁田厚が、蜂須賀小六役を、
2006年の「功名が辻」では高山善廣が、同じく蜂須賀小六役を、
高田延彦が本多忠勝役を、といった実在の武将を演じています。

やはりキャスティングする側としては、プロレスラーが持つ荒々しいイメージは、戦国時代の武将のイメージと重なるのでしょうね。

さてこの度の、真壁選手演じる「力也」ですが、架空の人物だけに、観る側としては役どころに思い入れをしにくいのですよ。それだけに、もっとプロレスラー真壁を前面に出してほしいですね。あるいはスイーツ真壁の方でもいいかな(笑)

32龍運丸とその一味op.jpg
NHK おんな城主 直虎 ウェブサイト動画より。左より真壁刀義、柴咲コウ、柳楽優弥

真壁選手は、大河ドラマ出演決定後のインタビューで、こんなことを言っていました。
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プロレスラー・真壁刀義が、新たなジャンルでどこまで行けるのかという挑戦です。
プロレスではありとあらゆるタイトルを取ってきているんですよ。そこから今度は、「ドラマを見ている人の感情を揺さぶる演技ができるのか」「バラエティーで笑いが取れるのか」など、真壁刀義という可能性を広げていきたい。
そして、俺を入り口にしてプロレスというものをより多くの人に知ってもらいたいですね。
いつか、柴咲コウさんをはじめ、「直虎」の出演者全員に自分の試合を見に来てもらいたいです。
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出展 ザテレビジョン ウェブニュース記事

はい、決意の程はわかりました。
この先の話の展開で、「力也」のインパクトある活躍に期待させていただきたいと思います!!


真壁選手の活躍を祈念して、イチ、ニー、サン
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あなたのサイトのURL、そろそろスリムにしませんか?

今度は現役選手限定! 「これがホントのプロレス総選挙2017」 [プロレス]

雑誌Numberが主催する、「これがホントのプロレス総選挙2017」が行われています。

今年の3月には、テレビ朝日系のTV番組でも「史上初!現役・OBレスラー200人&ファン1万人が選ぶプロレス総選挙」が行われました。
[→] 「史上初! プロレス総選挙」観ましたよー! 

それは、現役選手に限ってはおらず、かつてのスタープロレスラーの方々がランクインされ、古いプロレス者の私には親しみの湧く内容でした。

しかし、今やっている総選挙の方は、投票対象が現役選手限定とされています。

「日本のリングで闘ったことのあるすべての現役レスラー」の中から「これだ!」という選手を選び、インターネット上のサイトから投票するというものです。だから、サイトを見ることができる人なら、誰でも投票できるということですね。

0012.png
出展:Number これがホントのプロレス総選挙2017 サイト

投票サイトのボタンをクリック(あるいはタップ)すれば、投票用紙(紙ではないけど)が表示されます。そこに、自分が思う2017年現在最高と思う選手の名前(必須)、2位、3位の選手の名(任意)と選考理由(任意)を書き込みます。

その他に、この投票用紙には名前(ニックネーム可)、性別、住んでいる都道府県名、メールアドレス記入欄があって、これらすべてが必須記入項目となっています。まあ、仕方がないとはいえ、リスト集め目的まるだしで、ちょっと引きます。

この総選挙で1位になったプロレスラーは、Number夏のプロレス特集号の表紙を飾り、上位10位までに入った選手は必ず紙面に掲載される、という事になります。


下記は5月18日の最終中間発表による、上位10人です

 1位 内藤哲也(新日本プロレス)
 2位 棚橋弘至(新日本プロレス)
 3位 中邑真輔(WWE)
 4位 オカダ・カズチカ(新日本プロレス)
 5位 ケニー・オメガ(新日本プロレス) 
 6位 黒潮“イケメン”二郎 (WRESTLE-1)
 7位 飯伏幸太 (飯伏プロレス研究所)
 8位 柴田勝頼 (新日本プロレス)
 9位 HARASHIMA (DDTプロレスリング)
10位 丸藤正道 (プロレスリング・ノア)

上位5人が新日本と元新日本(中邑真輔)で占められています。
しかし私は2位から5位の選手は、一応知ってはいたのですが、
現在1位の、内藤哲也選手 を知りませんでした。

古いプロレス者の私は、いま旬の新日本の選手のことがよくわからんのです。
他団体の選手は、まるでわかりません(笑)。

そこで、困ったときのYouTube。
内藤哲也選手で検索すると、
ありました、内藤哲也VSケニー・オメガ。

00000.png
YouTubeの動画をキャプチャーしました。

試合観てぶっ飛びましたよ!
あまりにも凄い試合だったもので。
そこまでやるか、というぐらいの高度な技の応酬。

まあ、観ている方は目まぐるしい技の攻防に大興奮ですが、
やっている選手は大変ですよ、あれでは。

最近、新日本プロレスでは、リング上でのケガが目立っています。
選手としては、プライドをかけ、体を張ったパフォーマンスなのでしょうが、
こんなことやっていたら当然か、と思ってしまいます。
古いプロレス者としては、ケガのないように祈るばかりです。

とりあえず、なぜ内藤哲也選手が現時点1位なのか、納得できました。
ケニー・オメガ選手も技が切れる上、けっこうえげつない攻撃していました。 

うわさ通り、今、新日本プロレスが熱いようです。

「総選挙投票所」へのリンクを貼っておきます。
ご興味がありましたら、どうぞ!
なお、投票の締め切りは、2017年5月31日です。
[→]これがホントのプロレス総選挙2017


まだ現役で頑張っている、藤波辰爾選手に清きご一票を入れるつもりで、
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藤波辰爾 デビュー45周年記念ツアー 始まる! [プロレス]

本日の記事内容は、プロレスに興味のない方には、まるで面白くありません。
それでもよろしければ、お付き合いください。

プロレスラー藤波辰爾のデビュー45周年ツアーが始まっています。

さてその藤波選手ですが、先日テレビ朝日系で放送された、
「史上初!現役・OBプロレスラー200人&ファン1万人が選ぶプロレス総選挙」では、
なんと20位以内にランクインしていませんでした。

[→]プロレス総選挙ついてはこちらにも書いています。

この結果というのは、私のような古いプロレス者にとって、あまりにも意外でした。
1978年、海外武者修行を終え凱旋帰国、ドラゴン藤波として新日本プロレスのマットに再登場してからの人気はすさまじく、一時的にはアントニオ猪木を上回っていました。
その後も、新日本プロレスの看板選手として活躍し続けたのに、何ででしょ?

藤波選手は、中学を卒業してすぐにプロレスの世界に入り、新日本プロレスには創設から参加、1999年から5年間は新日本プロレスの社長を務めています。

その間、長州力や前田日明との抗争や、猪木越えの飛竜革命なんかもやって、ずいぶん活躍はしていたのです。でも、新日本プロレスという会社を愛するがゆえ、保守的な立場になってしまい、結局は羽目を外す相手選手を、引き立てる役に回ってしまっていた感はありますね。
きっと、人がいいんだろうな。

その後、2004年からの副会長を経て、2006年に旗揚げから34年間看板を守り続けてきた、新日本プロレスを退団されています。やんちゃなオーナーであったアントニオ猪木に振り回され続けたあげくの、苦渋の決断だったようです。


4月20日(木)、後楽園ホールで行われた
「DRDITION 2017 藤波辰爾デビュー45周年ツアーin TOKYO」は、
藤波選手が新日本プロレスを退団後創設した「ドラディション」の興行。
観衆は2473人。超満員札止めです。

参加選手を見ると、藤原喜明、ザ・グレート・カブキ、大谷晋二郎、高山善廣などが名を連ねています。オールド・オールスターですね。
藤波選手の息子LEONA選手も第二試合、シングルマッチに出場。
逆さ押さえ込みで勝っています。

藤波選手は、メインエベントで、6人タッグマッチ 60分1本勝負に出場。
藤波辰爾、長州力、越中詩郎  VS ビッグバン・ベイダー、武藤敬司、AKIRA です。
試合の展開は割愛しますが、最後は主役 藤波選手が、一番格下のAKIRA選手にドラゴンスリーパーを決めギブアップ勝ち。古いプロレス者ならだれでも予想が付いた、お約束の試合結果です。それでも試合会場は、大声援に包まれたに違いありません、絶対!

メインエベント終了後は、藤波選手のデビュー45周年記念セレモニーです。
前田日明、木村健吾といった面々がスーツ姿でリングにあがり、祝辞を述べられました。

続いて、アントニオ猪木が入場。
「元気ですかー!元気があれば何でもできる!」からの名調子で挨拶です。
そして、主役の藤波選手が挨拶をして、最後にアントニオ猪木に締めの気合を求めます。
さあ、お決まりの例のやつです。

「ご唱和お願いします。行くぞ!1、2、3、ダー!」

02.jpg
出展 バトル・ニュース

話は前後しますが、この6人タッグマッチに参加した、ビッグバン・ベイダーは、藤波選手が新日時代の因縁の選手であり、最高の好敵手の一人でした(書けば長くなるので内容は割愛)。

そのベイダーが、アントニオ猪木が入場している最中に、リング上で昏倒しています。来日前より心疾患で体調が心配されていたのですが・・・。

その後のベイダーのニュースが出ていないので、気になっていたのですが、ドラシオンのホームページを見てみると、4月22日(土)博多スターレーンでの大会に出場、メインエベント 6人タッグマッチで藤波組と対戦し、ベイダー組は敗れています。
でも、元気に試合できていて、よかった!

この日の6人タッグマッチのメンバーは
藤波辰爾、越中詩郎、金本浩  VS ビッグバン・ベイダー、藤原喜明、佐野巧真
新日本プロレス古参組の同窓会状態(笑)。

藤波辰爾は、またしてもドラゴンスリーパーを決めて 佐野巧真がギブアップ。
昭和プロレスは不滅なのです!


藤波辰爾選手が、元気にデビュー50周年を、現役で迎えられることを祈念して、
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「史上初!プロレス総選挙」観ましたよー!! [プロレス]

3月13日未明、「史上初!現役・OBレスラー200人&ファン1万人が選ぶプロレス総選挙」がテレビ朝日系で放送されました。
私、リアルタイムで観きってしまいました。

この番組、本来は前日の日曜日、午後8時58分からというゴールデンタイム(死語ですか?)に放送されるはずでしたが、前の番組「WBC 日本×オランダ」の試合が長引き、そのあおりを食って、日が変わっての放送となってしまいました。

WBCの試合は、瞬間最高視聴率は32.6%、平均視聴率25.2%だったそうなので、テレビ局の判断は、大正解と言わざるを得んのですが・・・。

とはいえ、古いプロレス者の私としては、プロレス関連の番組が、ゴールデン枠で企画されたことに賛辞を贈りたいと思います。


気になる「プロレス総選挙ベスト20」の結果は
以下の通りです

1位 アントニオ猪木(12964票)
2位 ジャイアント馬場(6562票)
3位 初代タイガーマスク(5625票)
4位 オカダ・カズチカ(4571票)
5位 力道山(4264票)
6位 棚橋弘至(4145票)
7位 ジャンボ鶴田(3479票)
8位 獣神サンダー・ライガー(3471票
9位 三沢光晴(3219票票)
10位 スタン・ハンセン(2635票
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11位 長州力
12位 武藤敬司
13位 小橋建太
14位 天龍源一郎
15位 ケニー・オメガ
16位 橋本真也
17位 蝶野正洋
18位 ハルク・ホーガン
19位 真壁刀義
20位 アンドレ・ザ・ジャイアント


番組は、20位から順番に名前が発表され、本人が特設リングに登場し、それぞれの経歴やエピソードが映像で紹介され、それを観た司会者の爆笑問題の二人や、多彩なゲスト人が補足したり、ちゃかしたりするという、この手の番組の鉄板のスタイルで進行されて行きました。


なかでも、6位の棚橋選手のリングで見せるマイクパフォーマンス
「愛してます」の誕生秘話が心に残りました。

Hiroshi_Tanahashi_2016.jpg
写真はWikipediaより

格闘技ブームに沸いた十数年前、プロレスは不遇の時代を迎えていました。そんな状況の中の2006年、棚橋選手は新日本プロレスの最高峰のIWGPヘビー級王座に挑戦することになったのですが、契約上のトラブルからチャンピオンであるブロック・レスナーが来日不能となってしまいます。

それに伴いタイトルマッチが中止となり、急遽新王者決定トーナメントが北海道の月寒ドームで開催されました。棚橋選手はこれに参加し優勝、ついに念願のIWGP王座初戴冠を果たしました。
そして、プロレス人気が地に落ちていたこんな時にも、会場へ運んでくれ観客に対し、
感極まって叫んだことばが「愛してます」だったのでした。

その後も棚橋選手は、自分たちの世代の選手たちで、必ずまたプロレス人気を取り戻そうと、年間約100試合というハードなスケジュールをこなしながらも、空いた時間を集客や人気確保のイベントの企画や参加に充てたり、自らチケットを売るといった地道な営業活動をずっと続けてきました。
そんな努力が実り、今日のプロレス人気へと繋がりました。

この秘話に、私は素直に感動。古いプロレス者も棚橋選手のファンになってしまいそうです。棚杯選手の苦労話を語ってくれたのが、かつての名選手 山崎一夫さん。UWF時代に何度も試合を見に行きました。見事にやつれたおっさんの風貌になっていたのはちょっと悲しかったけど、お顔を見られて嬉しい。ついでに付け加えると、安生選手も焼き鳥屋のおやじになった姿で出ていましたよ。


さて、その他のベスト10を振り返ります

10位 スタンハンセンの「今」がみられたのはよかったです。天龍との死闘(ほんとに天龍が殺される!と思ったアノ試合が忘れられません)のことで、天龍の「あの時ハンセンはムチャクチャだった」という発言を受け、ハンセンは「お前もクレージーだった」と笑顔で返していました。いいな~、この感じ。

9位 三沢光晴は、「試合中の事故での死」で伝説となったということでしょう。三沢選手といえば「エルボー」と答えていたファンの方が多かったのですが、記録映像を見て納得。確かにエルボーかましくっていましたね。

8位 獣神サンダー・ライガーは私的には意外だったのですが、長く現役を続けてきて、幅広い層のファンを持っているという事なのでしょうか。

7位 ジャンボ鶴田は、「鶴田日本人最強説」が根強く生きているのが分かりました。バックドロップが凄かったのですが、若いころのドロップキックも相当凄いです。驚異の身体能力と無尽蔵のスタミナを持つ天才レスラーでした。

5位 力道山については、かつての英雄伝説は時代を超えて語り継がれている、といったところでしょうか。

4位 オカダ・カズチカは、現在の新日本プロレスのエースです。甘いマスクと、鍛え抜かれた肉体美。そしてプロレスラーとしては近頃まれにみる長身。加えて驚異の身体能力。あの信じられないぐらい高い打点のドロップキックはすごいの一言。スター選手の要素をすべて持っている人です。だから、ほんとは1位にならないといかんのです。

3位 初代タイガーマスクというのはちょっと驚きです。新日本プロレスで「タイガーマスク」として活躍した期間はわずか2年ほど。だから余計に強烈に印象に残っているのでしょうね。

2位 ジャイアント馬場は、やはりここに来たか、という感じです。現在でも「ジャイアント馬場」の名前を知らないという人、はあまりいないのではないですか。かつての人気プロレスラーは国民的スターだったのです。

1位 アントニオ猪木は、ただ一人5桁の得票数で圧勝です。さすがプロレスの生けるレジェンドと感心した反面、まだプロレス界は猪木の呪縛から解き放たれていないのだな、とちょっぴり憂いの感想も湧きます。
「元気ですか~っ」で登場し、「いち、に、さん、ダーッ!」で番組を締めておられました。


個人的には、ミスタープロレス天龍源一郎が14位に甘んじていたのが不満です。

sp_tenryu2.jpg
出展 天龍プロジェクト

私的には猪木、馬場に次いで3位だと思っています。あの余裕かましのジャンボ鶴田を本気にさせての全日名勝負数え唄、阿修羅原と組んでの龍原砲。素晴らしかったです。


古いプロレス者の私としては、ちょっとコーフン気味でいろいろ書きすぎてしまい、長い記事となりました。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

でもほんとは、ぜんぜん書き足りないのですが、本日の試合は時間切れでゴングという事にさせて頂きます。


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“藤波辰爾デビュー45周年ヒストリー”がビミョ-に面白い [プロレス]

古いプロレス者の私にとっては、「藤波辰爾」より「藤波辰巳」のほうがしっくりくるのですが、いずれにせよビッグネームには違いありません。

その藤波氏がプロレスデビュー45周年というビミョーなこの時期、スポーツ報知に連載されている「藤波辰爾デビュー45周年ヒストリー」がやはりビミョーに面白いのです。

藤波.png
出展 スポーツ報知

私が少年の頃、新日本プロレスのマットに、突如現れたスーパーヒーローが藤波選手でした。

当時のリングネームは「ドラゴン藤波」。大男ぞろいのパワーファイトが中心であったプロレスの世界に、ジュニアヘビー級という新しいカテゴリーで登場した藤波選手は、リングネームにふさわしいスピード感あふれる試合スタイルで、たちまち少年ファンたちの心を捉えました。
さらに、端正なマスクと鍛え抜かれた筋肉美が、男の世界だったプロレス会場へ女性ファンを呼び寄せることになったのです。

連載中の「藤波辰爾デビュー45周年ヒストリー」では、藤波選手のプロレス入りのきっかけから始まり、アントニオ猪木氏が旗揚げした新日本プロレスへの参加の経緯、ドイツからアメリカへ転戦していった海外修行のこと、必殺技ドラゴンスープレックスの誕生秘話や、アメリカでの成功などに触れられており、華々しく鮮烈な日本凱旋デビュー(正確には再登場)までには、しっかりとしたキャリアの蓄積があったのだという事を教えてくれます。

また、今も引き継がれている新日本のシンボル「ライオンマーク」や「KING OF SPORTS(キング・オブ・スポーツ)」というキャッチフレーズを考えたのも藤波氏であったなどというトリビアネタも散りばめられております。

連載は19回目(3月4日現在)で、1978年の現夫人のかおりさんとの出会いのシーンが描かれている状況です。この時、1971年のデビューから数えて7年目。45年のキャリアからすればこのわずかな期間に、すでに語りどころ満載なのです。

藤波氏が、いかに濃密な人生を送ってこられたのかが窺えます。
そして、45周年までは、まだ38年分のストーリーが控えているという事になります。
さて、どのような秘話が語られていくのでしょうか。
古いプロレスファンの私としては、つづきを読まずにはいられそうにありません。

読んでみようかな、という方はこちらへどうぞ!


ドラゴンスリーパーこそ藤波選手の看板技だ、と思われる方は
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大仁田、サスケと最後?の一騎打ちで激勝! [プロレス]

大仁田厚選手については以前にも触れましたが、
引退へ向けての伝説作りシリーズが始まっているようです。

大仁田2.jpg
出展 Wikipeddia

デイリースポーツスポーツの記事より一部を引用させていただきます。
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今年で引退を宣言している大仁田厚が、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケとの最後の一騎打ちを白星で飾った。また、3月12日の全日本プロレス・後楽園ホール大会に、アジアタッグ王者(パートナーは渕正信)でもある自身の代理として、自身の化身であるグレート・ニタが来場することも予告した。

 大仁田にとってサスケは、電流爆破デスマッチなどで過去3度の一騎打ち(大仁田の2勝1敗)を行った好敵手。今回は大勢のセコンドがリングを取り囲み、場外に落ちた選手を場内に押し戻すランバージャックデスマッチだったが、セコンドの介入と凶器使用が許されるFMW方式が採用され、いつものFMWのように乱戦に発展した。

 序盤はレスリングの攻防が見られたものの、大仁田が場外に落ちるとセコンドが集団暴行。これが合図になったかのように、セコンドが入り乱れ、イス、テーブル、有刺鉄線バットなどが飛び交う大混乱に陥ったが、最後は大仁田が岩石落としで、サスケをイスの山の上にたたきつけて葬り去った。
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私、古いプロレス者なもので、
ネットニュースで「大仁田厚」という名前を見かけると、どうしても反応してしまいます。

今回も、このニュースを知り、動画が観たいと思いyoutubeをチェックしたのですが、まだ」アップされていないようです。

なので、記事からでしか試合の内容がつかめないのですが、まあ、いつもの大仁田ワールド全開といったところでしょうか。

「セコンドの介入と凶器使用が許されるFMW方式」
これって、すごいルールだと思いませんか。
大仁田厚氏が提唱する「邪道プロレス」ここに極まれり、ですね。

かつて、全日本プロレスのジュニアヘビー級として、将来を嘱望されていた大仁田氏でしたが、試合中の膝の大怪我が原因で引退。しかしプロレスレスラーとしての夢を捨てることができずカムバックを目指したわけですが・・・。

大仁田氏がとった道は、FMWというインディーズプロレス団体の立ち上げと、なんでもありがコンセプトの邪道プロレスでした。自分の体の状態ではメジャー団体では通用しない、ストロングスタイルでは差別化できない、という判断のうえの結論だったのだと思います。

大仁田氏の、この判断も素晴らしいし、それをすぐにやってのけた行動力も素晴らしい。
また、「邪道」スタイルを認める「プロレスというジャンル」の受容力の大きさも、「プロレスファン」の包容力の豊かさも素晴らしい。

今回の試合後、大仁田選手はリングに横たわる好敵手サスケに寄り添い、「いつもこんなオレに付き合ってくれてありがとうな。お前のことは一生忘れない。最初に電流爆破を認めてくれたのはこの男です!」と感謝の言葉を贈ったそうです。

こんな芝居がかった展開にも、わざとらしい凶器攻撃にも、試合会場に集まるプロレスファンたちは思いっきり熱狂し、とことん楽しみます。

控室に戻った大仁田選手は、3月12日の全日本・後楽園ホール大会に、別人格であるグレート・ニタとして、乱入することを匂わす発言をした模様です。

本年末に向けて、大仁田伝説はどのように造られて行くのでしょうか!?
別に楽しみではないけれど、やっぱりちょっと気になります。


このブログこそ、「何でもありの邪道ブログじゃー」という方は
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大仁田厚、今度こそ本当に引退!? [プロレス]

プロレスラー 大仁田厚選手 が年内引退を表明されたそうです。実に7度目。
でも私のように、年季の入ったプロレスファンにしてみれば、「はい、いつものやつね」ぐらいの感覚ですが・・・。

スポニチアネックスの記事より一部を引用させていただきます
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元参院議員でプロレスラーの大仁田厚(59)が東京・越中島のスポーツニッポン新聞社を訪れ、60歳となる年内に引退する意向を改めて報告した。
引退と現役復帰を繰り返してきた“涙のカリスマ”は「今度は本当ですから」と強調。引退試合の会場は95年のFMW興行で5万8000人以上を集めた旧川崎球場(現富士通スタジアム川崎)を希望も、交渉が難航しており「横浜になるかもしれない」と見通しを語った。
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出展:大仁田厚オフィシャルブログ

大仁田選手といえば、70年代から80年代にかけて、全日本のジュニアヘビー級で活躍。しかし、将来を嘱望されながら、試合中のアクシデントで膝に大けがを負い、1度目の引退をしています。

しかし、1989年にFMWというプロレス興行会社を興し、自らがエースとして現役復帰しました。「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」など過激な試合が話題を呼び、人気が沸騰します。 試合後の涙のマイクパフォーマンスから、「涙のカリスマ」はその頃の大仁田選手の代名詞でした。

その後FMWは、大仁田選手の2度目の引退後、数多くの紆余曲折の末、2002年に経営不振を苦にした社長の自殺という、最悪の形で幕を閉じます。
大仁田氏自体は、高校に入学したり、大学生に入学したり、参議院議員になったりしながら、インディーズ団体を興しては選手復帰~引退を繰り返していた、ということですね。

そして2015年、FMWは「超戦闘プロレスFMW」として復活。当然エースは、6度目の現役復帰をはたした大仁田選手です。ところが、早くも大仁田選手が引退表明。2017年は、7度目の引退に向けてのシリーズを展開していくことでしょう。

さて、大仁田選手の、次の現役復帰はあるでしょうか?

私は、あり と思っています。
大仁田氏が、FMWを立ちあがた時の「なんでもあり」の精神を忘れない限りは、「引退します」は試合形式の一部のようなもの。きっと彼は、曲者ぞろいのオールドプロレスファンたちの、ひねくれた期待に、終生応え続けてくれるに違いありません!


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ミスタープロレス 天龍源一郎、引退を表明! [プロレス]

ジャイアント馬場、アントニオ猪木という日本のプロレス界の二大巨頭からピンフォールを奪った、ただ一人の日本人レスラーとして、すでにプロレス界のレジェンドである天龍源一郎選手が、今年の11月をもって引退すると発表。

大相撲出身 最高位前頭筆頭。 
ご本人は「幕内そこそこの力士が名前を知られるまでになった。自分自身こんなにプロレスはまるとは思っていなかった」と述壊されています。
私は、大相撲時代の天龍さんを知る世代なのですが、やたらと回転だけは良いつっぱりが印象に残っています。ピチャンピチャンと音を立ててつっぱりながらも、後退してしまっているような・・・。たぶん、あのまま相撲を続けていても、上の地位望めなかったのではないかと思います。

1976年10月に全日本プロレスに入門、しばらくは目立った活躍がありませんでしたが、1981年7月、ビルロビンソンとのタッグで、馬場・鶴田組の保持するインターナショナルタッグ王座へ挑戦したことで突如プロレス開眼!全日第3の男、風雲上り龍としてブレイクしました。

全日時代は阿修羅原とタッグを組んだ龍原砲で大活躍。また、いつも余裕の試合運びをする天才プロレスラー ジャンボ鶴田をシングルマッチで本気にさせ、鶴龍対決は全日本プロレスのドル箱カードになりました。この頃の全日はほんとにおもしろかったなー。

その後、数々の団体を転戦し、ついこの度の引退宣言へ!
レボリューションファイナルツアーと銘打ち、11月まで全国各地で興業を行うそうです。
天龍レジェンドの総仕上げ、大いに期待したいと思います!


かつて鶴龍対決名勝負数え歌に、テレビの前で興奮しまくっていたあなた、
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